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ひろしま観光SPOT:江戸時代2

頼山陽史跡資料館

地図72dpi32K頼山陽

1995年(平成7年)11月3日開館。オフィス街にある旧山陽記念館跡地に江戸時代のひろしまの文化資料保存、展示、調査研究を行う文化施設として新設されました。山陽が脱藩により幽閉された「頼山陽居室」(国の史跡)が敷地内にあります。 資料館の庭園は、文人趣味・嗜好を庭園意匠に表現した文人庭であり、四季それぞれに風情のある趣をかもしだしています。庭内の「クロガネモチ」は被爆樹木であり、被爆により根株だけを残して焼けましたが、5年目に不思議にも芽を吹き、現在5mに成長して元気よく繁っています。 資料館は、頼山陽をはじめとする江戸時代のひろしまの文化の公開とともに、歴史散歩の拠点として、また、国際交流の場としてさらなる発展を期している文化施設です。
頼山陽は、安永9年(1780年)に大阪で生まれた。父春水は、当時私学青山社を開いていたが、広島藩が学問所を創設する際に朱子学者として迎えられ、当館の位置する敷地内の屋敷には寛政2年(1790年)から住むようになった。 山陽は、ここで育ち、寛政9年(1797年)に江戸へ一年間遊学する。寛政12年(1800年)には広島藩を脱藩し京都に行くが、すぐに連れ戻され、邸内の離れの一室に幽閉された。この離れが現在の頼山陽居室である。なお、当時の居室は被爆により焼失し、昭和33年(1958年)に復元された。幽閉された5年間、山陽は著述に専念し、晩年に完成する「日本外史」の草稿をまとめたとされる。 その後ももっぱら著述に専念し、京都で後半生を送り、天保3年(1832年)53歳で没した。

和風建築の粋を凝らした茶室は茶会の利用ができます。(お問い合わせは資料館へ)
・定期的に茶室を利用している他団体の催し
裏千家三交会「茶会」月1回
香道志野流「志野流勉強会」月5回
香道泉山御流鵁園会「勉強会」月3回
どなたでも参席できます。(お問い合わせは資料館へ)
・団体の場合、事前に連絡頂ければ、展示解説も行います。(お問い合わせは資料館へ)

○9:30〜17:00(入館は16:30まで)、{休館:月曜(月曜が祝休日の場合は開館、翌火曜日が休館)、12/28〜1/4、臨時休館(展示物入れ替えのとき、原則1日)}
一般300円(15人以上の団体240円),65歳以上240円、小・中・高生150円(120円)

○広島市中区袋町5番15号(082)542-7022

○JR広島駅から電車・バス利用で15分、路面電車/紙屋町経由宇品行「袋町」下車すぐ、バス/広島電鉄バス/広島西飛行場又は自動車試験場行き「袋町」下車すぐ、広島バス/広島港又は、たかの橋行「袋町」下車すぐ。駐車場:普通車/4台(無料)観光バスについては事前に連絡して下さい。


三滝寺

地図72dpi32K三滝寺

広島市の北西の宗箇山(植松山、三滝山とも呼ばれる)356mの谷間に位置する三滝寺は、三滝観音として親しまれています。宗箇山は古く茶人の上田宗箇が城下の茶室の借景として松を植えた山としても知られています。また、境内には水流の異なる三つの流れが瀬音を響かせ、各水流が滝を有していることから三滝寺と呼ばれているが、明治時代には瀧泉寺とも称していました。境内にある県の重要文化財の朱色の多宝塔は、もともと和歌山県の広八播神社の境内に建立されていましたが、原爆犠牲者の慰霊のため、昭和26年(1951年)に移築されたもので室町時代のものと推定されています。その塔内には、国の重要文化財である、鎌倉時代に制作されたとされる木造阿弥陀如来坐像が安置されています。また、本堂の側面にある長大な板には、詩人故大木惇夫の長編詩「三滝寺」が叙情豊かに墨書きしてあります。 都心から近距離にあるにもかかわらず深山幽谷の趣きが広がる境内は、ゆっくりと見学したい場所です。

○9:00〜17:00

○広島市西区三滝山411(082)237-0811

木造阿弥陀如来坐像の一般公開
国の重要文化財である木造阿弥陀如来坐像の年に一度の一般公開が、11月第2日曜日に行なわれます。

○バス/八丁堀から三滝観音行き「三滝観音」下車徒歩10分、JR/広島駅からJR可部線下り「三滝駅」下車徒歩20分


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平成11年4月作成